綾瀬の歴史~原始・古代~1

更新日:2023年02月01日

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旧石器時代

 綾瀬の地に人々が住み始めたのは、今からおよそ4万年前の旧石器時代です。吉岡遺跡群から発見された石器群がそのことを示しています。旧石器時代は氷河時代とも呼ばれています。
 相模野台地は全国的にも著名な旧石器時代の遺跡が密集する地域で、綾瀬市域にも45ヶ所もの遺跡が発見されています。
 この頃は狩猟採集による遊動的な暮らしをしていたと考えられています。およそ2万3千年前には、ナイフ形石器を主な狩猟具としてナウマンゾウや、オオツノシカなど大型動物を狩る暮らしがあったと考えられ、この時期の代表的な遺跡として寺尾遺跡、早川天神森(はやかわてんじんもり)遺跡、地蔵坂遺跡、上土棚遺跡などがあります。旧石器時代は、土器の出現をもって終わり、縄文時代が始まります。

縄文時代

 縄文時代は今から1万3千年ほど前、土器の出現で始まります。この時期は「縄文時代草創期」と呼ばれていますが、綾瀬市を含む相模野台地にはこの時期の遺跡が多くあります。
 旧石器時代の終わり頃から、地球規模での温暖化がすすんでいきます。縄文時代早期(今から1万年ほど前)になると、定住への傾向が強まり半地下式構造の竪穴住居が出現します。気候の温暖化に伴い、植物資源も豊かになっていき、食料としての獲得対象となっていったと思われます。
 縄文時代中期(今から5000年ほど前)の中ごろになると、内陸部にも大規模な集落が作られるようになります。中央を広場、周囲を居住域とした環状集落(かんじょうしゅうらく)が多く、綾瀬市内の道場窪(どうじょうくぼ)遺跡もその一例です。また、この頃の土器の特徴として装飾が立体的になっています。
 縄文時代後期(今から4000年ほど前)も大規模な集落が出現しますが、同一地点でとどまるのではなく、少しずつ居住地点を変えています。上土棚南遺跡から出土した土偶や装飾等から、祭祀(さいし)的な様相が強まっていくことがわかります。しかし、この時期の後半以後縄文時代晩期から弥生時代中期まで綾瀬市内からは人の痕跡がまったく途絶えてしまいます。

弥生時代

 紀元前8〜3世紀から紀元後3世紀ごろ、金属器と水田稲作が各地に普及した時代を弥生時代としています。弥生時代は早期・前期・中期・後期の4時期がありますが、南関東地方では前期の遺跡が少ないです。中期になると、神奈川県内各地でも周囲を溝で囲んだ環濠集落をはじめとする大規模集落などが確認され始め、綾瀬市内でもこの時期の遺物がわずかながら出土しています。
 平成23年2月7日に綾瀬市内で初めてとなる国指定史跡となった「神崎遺跡」は、環濠集落(かんごうしゅうらく)全体が残っている全国的にみても珍しい遺跡となっています。また、出土した土器の形態が東海地方西部のものと類似していることから、当時東海地方西部の集団が神崎の地へ移動してきたことが推測できます。

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