楽しく学べる歴史の本ができました
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平成16年3月に、『綾瀬市史』全10巻の最後を飾る『綾瀬市史10 別編 ダイジェスト』として『写真で見るあやせ』を刊行しました。写真や図が盛りだくさんで、楽しくながめながら綾瀬の歴史が分かります。写真の一部を画面で見ることもできます。このページ末尾のリンクをご覧下さい。
内容を簡単にご紹介すると…

綾瀬市史全10巻

『綾瀬市史10 別編 ダイジェスト 写真で見るあやせ』表紙
綾瀬市史全10巻が並んで置かれている写真 (JPEG: 39.2KB)
大きな木を下から見上げて写した写真がのっている『綾瀬市史10 別編 ダイジェスト 写真で見るあやせ』の表紙 拡大画像 (JPEG: 32.4KB)
- 原始・古代 綾瀬の始まり
今から約4万年前の先土器時代(旧石器時代)に、人類が綾瀬に登場します。見どころは、国内最古級の石器群が出土した吉岡遺跡群、弥生時代に東海地方から集団で移動してきた環濠集落の神崎遺跡、天平5年の木簡が発見された宮久保遺跡などです。 - 中世 渋谷荘の世界
長らく綾瀬周辺を「渋谷荘(しぶやのしょう)」として支配していた渋谷氏は、全国にその足跡を残しています。市内には関連する遺跡がいくつか見られますが、渋谷氏の城といわれる早川城跡は、現在城山公園として市民の憩いの場になっており、土塁や掘切りを見ることもできます。 - 近世 武士の支配と農村の暮らし
江戸時代には、市域の村々も大名や旗本により、あるいは幕府の直轄地として支配を受けました。三代将軍家光の乳母春日局は吉岡に所領を持っていて、局の屋敷跡とされる済運寺(さいうんじ)には位牌などが残されています。上土棚には「大縄(おおな)」という地名があり、検地が行われたことを現在も伝えています。 - 近代 激動の時代、近代化への道
明治22年には8つの村が合併して綾瀬村が生まれます。当時の予算書から、村の様子がうかがえます。大正12年の関東大震災では、新築間もない綾瀬小学校が倒壊するなどの被害がありました。被災から復旧へ向かう様子が村役場の『震災書類』として記されています。 - 現代 戦争・復興と発展
綾瀬村は昭和20年4月1日に町制を施行しました。当時の地図に、広大な海軍施設が書き込まれています。敗戦直後に連合国軍最高司令官マッカーサーが降り立ったのが、このうちの厚木飛行場です。戦後は経済成長が進み、昭和53年11月1日に綾瀬市となりました。現在も大規模な開発が進むなど、綾瀬は日々その姿を変えています。 - 風土と暮らし
綾瀬市は丘陵上に位置し、幾筋かの小河川が南北に流れています。都市化の中でも様々な動植物が生息しています。また、人々の生活様式からは昔ながらの綾瀬の姿をうかがうことができます。古い写真と現在の景観を比べれば、改めて変化が実感されることでしょう。
こんな『写真で見るあやせ』です。ぜひ一度お手に取ってご覧下さい。
他にもたくさんの刊行物がございます。綾瀬の歴史についてもっと詳しく調べたい場合は、そちらもご利用下さい。綾瀬市史刊行物の一覧は、このページ末尾からリンクできます。
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更新日:2023年02月01日